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第十章;「真夜中にバタートーストを焼く」


 寝たら起きた。というかまた眠りに失敗した。完全に睡眠障害だ。眠くなるのは夜明け頃で、午前中は深海の泥に埋まる様に眠っている。そのうち身体が液状化してしまいそうだ。真夜中にバタートーストを焼く。特技はこれといって何一つないが、バタートーストだけは完璧だと思っている(コツはデリケートな手付きでバターを塗ること)。夢を見た様な気がするが思い出せない。寝返り8万回の気分を引きずったまま目覚める。寝起きにオレンジジュース。スペイン産。空がしらじらしい程に眩しい。音を選んで気分をフォルダに詰め込む。今日は夜に刺客がやってくる。ああ、こんなにもいい天気なのに。かなり落ちそうな予感。週末、久々にクラヴと映画をハシゴしようかと企んで居たのに、と机に突っ伏す。「これから行っていい?」みたいなアレが物凄く苦手だ。たとえ友人であろうと恋人であろうと家族であろうとそれは変わりない。自分の空間(狭いな)を乱されるのには辟易とする。昔、終電ギリくらいに電話があり、それは起こった。内心、勘弁してくれよと思いつつ、どうせ電車に間に合わないだろうと「じゃあ来れば?」と云ったら、電車は走っていた。結局、夜中の一時半頃にチャイムが鳴った。その晩、仕方なく6回セックスした。その間、意識は延々と別の事を考えていて「ああ、意識を切り離してもこういう事出来るんだよな」と不条理感を抱える事となる。相手に対してではなく、自分に対してだ。今から思えばそれが始まりだったのかも知れない。あれは確か十八の時だった。──とはいえ、今夜の来客に対し、何処か東京で案内出来る場所をぼんやりと思案してみる。東京、何かあったっけか。海が見たい。誰もいない景色を歩くのだ。

 JetBlue航空機の緊急着陸生中継を観る。JetBlueは現在アメリカで最も人気のある成功した航空会社だとキャスターが報じている。その人気の航空機がトラブルに見舞われた。機体の前輪に不具合が生じたものだという。着陸に備えてロスの空港は閉鎖され、レスキュー隊がスタンバっていた。燃料が燃え尽きるまでの一時間、航空機は上空をひたすら旋回し続けていた。CNNの映像はその様子を伝えていた。他のチャンネルも同じだった。徐々に高度が下がると、背景に建物が写り、それから車の形が見えてきた。揺れる木々も見えた。着陸まであと僅かなんだろうという事が判った。まずは後輪が着陸し、それから前輪が火を吹いた──成功するのか?やけにクリアな映像の中、タイヤが急速に熔けていく様を観た。脆いものだなと思った(本当にあっという間にそれは溶けてしまった)。それから、あの車輪に乗客一人一人の人生の重みが掛かってるんだとかそういう事を。着陸は無事に成功した。ニュースの途中だったが、拍手が起こっていた。レスキュー隊が機内に入り、しばらくしてタラップから乗客が降りてきた。表情までは読めなかったが、足元がふらついている人も多かった。手すりにしがみつきながら一歩一歩降りてくる姿が映し出されていた。死を覚悟して地上に降りた時、最初の一歩を踏み出すのは相当大変な事だろうと考えた。これまでに乱気流は4回、緊急着陸は1回体験したことがあるが、恐怖すら超えた何かもっと異なる気分に囚われた。地に足が着いていないというシチュエーションについて、強制的に考えさせられる瞬間が襲ってきたからだ。自分には全く及ばない絶対的な立ち位置があるという事、それはあまりにも計り知れない。

 ──ところでJetBlueの機内ではブルーのポテトチップスが配られるそうだよ(友人談)。
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