◆名前について◆(ブログに書いた物を修正して引用)
名前は主に「姓」と「諱(いみな)」と「字(あざな)」というものがあります。
順を追って説明しますね。
姓は劉備なら「劉」だし曹操なら「曹」の部分に当たります。
一般では一文字だが、二文字の場合もあります。
夏侯惇(夏侯)や司馬懿(司馬)などがそうです。
三国志では「夏侯」「司馬」「公孫」「諸葛」などが多いです。
そして、諱。「諱」と書いて「いみな」と読みます。
劉備なら「備」、曹操なら「操」に当たる部分のことです。
これは本名であって、普段は用いることは全くないのです。
これを当時使うと相当失礼。
そして諱と字(あざな)をくっつけて呼ぶことは絶対にありません。
つまり備玄徳や操孟徳とは言わないのです。
もちろんくっつけたら駄目なのだから、劉備玄徳、曹操孟徳でも駄目なのです。
で、先ほどから名前が出ている「字」だが。これは「あざな」と読みます。
劉備なら「玄徳」、曹操なら「孟徳」に当たります。
これも大抵二文字。
姓と字をくっつけることは普通にあるそうだ。
つまり劉玄徳とか曹孟徳とかいうのはアリです。
字は使用しては良いとはいえ、全員が劉備のことを「玄徳」と呼ぶわけではありません。
例えば曹操が丞相だったとして「孟徳」と呼ぶ人はほとんどいないのです。
「ほとんど」 といったのは、一緒に勉強をした幼なじみとかが呼ぶことはあるからです。
だから曹操が丞相なら普通「丞相」と呼ばなくてはいけないのです。
つまり官職に就いている人は、その名称で呼ばないといけないのです。
当時の曹操の呼び方を説明すると…。
丞相になったら「丞相」と呼ぶ。
魏公になったら「魏公」と呼ぶ。
魏王になったら「魏王」と呼ぶ。
死んで、曹操のことを呼ぶなら「武帝」とか「太祖」と呼ぶ。
何故死んだ後の曹操を武帝とか太祖と呼ぶのか。
武帝というのは「武皇帝」のことです。
武皇帝というのは「謚号(しごう)」です。(単に謚(おくりな)ということもあります。)
謚号というのは死後、生前の功績とかにちなんでつけられる追号です。
太祖というのは「廟号(びょうごう)」です。
廟号は皇帝が死んだら宗廟に祭る時につける称号です。
曹操は名目的には皇帝にはなっていないが、実質的に考えると初代の天子なので、廟号がつけられているのです。
劉備は死後、謚号が「昭列皇帝」です。
しかしあまりそう呼ばれることはないみたいだ。
中国は客観的に見ると「漢」「魏」「晋」と移っていているので、劉備の蜀漢は正統的な王朝ではないからなのです。
もちろん孫権も同じで「大皇帝」という謚があるが、ほとんど使われない。
ちなみに劉備を「備伝」、孫権を「権伝」と称するのは忍びないと見たようで陳寿は「先主伝」、「呉主伝」と書いている。
もちろん曹操や曹丕は「伝」ではなくて「武帝紀」「文帝紀」としています。
(文帝は曹丕の廟号)
そこの所の区別はちゃんとしていたようです。
でも呉主伝では孫権のことを「権」としているのに対し、先主伝では劉備を「先主」と呼んでいます。
劉備は先主伝以外では「備」となっているが、先主伝だけ「先主」とされているのです。
陳寿は呉王朝よりも劉備は漢の後を継いだ漢王朝として依怙贔屓(えこひいき)しているようです。